6/10

明日は私の誕生日。
隠すほど若くはないれど「43歳」って言ってみて、その歳が自分に似合わないようで心地悪い。
もっともっと大人の女のはずではなかったの?と自問したくなる。
私はそこまで大人になりきれてない。

20歳を過ぎてからは、私は自分の誕生日は、両親に感謝をする日にしている。
特に母に対して、ね。おなかを痛めて私をこの世に送り出してくれた日だから。

友達からメールがきて、だれだれ君のお母さんが亡くなったとか、お父さんが亡くなったとか。
私たちもそんな歳なんだね〜って書いてあったけれど、私の父と母がいつまでも長生きしてくれるように、って祈る。
大好きな両親が私の人生からいなくなる、って事を今はまだ考えたくない。


6/9

別に夫や子供達が嫌いになったわけじゃなくても、家出したくなるときってない?
もう、何にもしたくない時、家出したくなる。
家や家族が嫌なんじゃなくて、正確に言えば「家事」が嫌になっちゃう時がある。
目をむけるところ、足を向けるところに仕事がころがってて、あっちを片づけ、こっちを片づけなんて、家の中をただうろうろしているだけで、ちっとも片付かない。 そんな時に限って、みんなが「あれして〜これして〜」って言いよってくる。

昔、つとめていた時に先輩から「声をかけるときは相手の状況をよくみてから声をかけるように」と言われた事がある。
電話中、打ち合わせ中などはもちろんのこと、 何かとても急ぎの仕事をしている時などは、よはど重要な事でない限りは話しかけないこと、と。
厳しい先輩だったけれど、そういう気配りに関しては彼女からたたきこまれた。
でもでも、そんな事うちの家族に向かって言ったって無駄だけどね〜(泣)


6/8

鏡をのぞいて、髪に白いものが混じってきて、 自分もそんな歳か、ってしみじみ思うけれど、 体力の衰えとか、そんな小さな変化をのぞけば、20か30か、その頃の自分と 何も変わっていないように思える。
さすがに、10代の頃とは違うけれど、 昔のある日、私は大人になって、それからは特に大きく変化も進化もしていない。
グラフで表すとすれば、20代前半まではぐんぐん登り坂で、20代の途中からは ずぅ〜っと横ばい。
あの頃好きだったものは、今も好きだし。
あの頃信じていたものを、今もやっぱり信じている。
人間の価値観とか、色々なものごとに対する感覚ってのは、基本的なところで変わらないのかもしれない。
好きなものの数や、幸せの数、悲しみや苦しさの数ってのは増えていくとしてもね。


6/5

子供を育てるってことは、ある意味2度生きるってこと。
自分ももう一度生まれ変わって、子供の時代を過ごせる、ってこと。
特に母親にとって、女の子を育てるってのは、まるでクローン体験。
小さい頃は、一緒にぶらんこをこいだり、砂いじりをしたり。
自分の子供の頃やったのと同じように遊ぶ。
「お母さんといっしょ」を観たり、「ぞうさん」の歌を歌ったり。
人生の中で2度も同じ事を繰り返す事に驚いた。

それからだんだん大きくなると、親に嘘をついたり、反抗したり....
自分が親にした事を、今度は子供からされちゃって
心痛めたり、腹を立てたり。
でも心の中でやっぱり「うん、うん、こういう事したよなぁ〜」って思い出す。
母に反抗したり、口げんかしたり、それでも母が笑って許してくれるのを待っていた。

結局は育ててもらったやり方が、お手本になっちゃうのよね。
自分の育ててもらったように、わが子を育ててしまう。
それが正解なのか、不正解なのかは別としてもね。


6/4

今の私の年齢から見て、「思い出」っていうのは40年分以上あるはずなのに、
実際に思い出す「思い出」というのは、学生時代以前のことばかり。
それも、小学校、中学校、高校までの事が多い、という事に気付いた。
それ以降、大学時代や社会人になった後の「思い出」ってのは、学生時代のそれと比べると ちょっと色あせて、安っぽい感じがする。言葉を変えれば「嘘っぽい」感じ。
なぜなのかな。

学生時代の思い出は、ちょっとセンチメタルで、濃厚な感じなのです。
まだ自立せずに、両親の腕の中で甘やかされて、楽々な毎日を送っていたからなのかなぁ。
苦しい事や悲しい事も、確かにあったはずだけど、まだその頃の自分は誰かに守られていたから 正面きって戦う必要なんてなかった。
そんな「良き時代」の思い出だから、時々ひきだしから出しても楽しいのかも。
大人になっちゃうと、自由は手に入るけど、自分を守るために戦わなくちゃいけないものね。

何でも一生懸命だったあの頃みたいに、濃厚な毎日を送れたらいいのに、怠慢な私にはもう無理かな。


6/3

昨日のドレッシングに、マヨネーズを加えるだけで、
またひと味違う、デリシャスなドレッシングができる。
ポン酢さまさま。ガーリックパウダーさまさま。(笑)

・・・昔の日記を見つけた・・・

子供達が小さかった頃の日記。 離婚したばかりの頃、一生懸命だった私がそこにいた。
子育て、って大変だけど、子供は小さいうちに一生分の親孝行をしてくれているのかも しれない。
振り返ってみて、そんな風に思う。

さとみからの手紙を見つけた。
小学校2年生くらいの頃もらった手紙。
ちゃげあすばかり聴いていた私に質問

「ママ。どっちが好き?
 1:さとみと、かえる。
 2:チューリップと桜
 3:ちゃげあすとパパ 」

離婚したばかりの時、確かめたかったのかな。私の気持ちを。
直接には聞かないで、こんな形で聞いてきたんだなぁ〜って思う。

最近のさとみはと言えば、高校生になって、だんだん口数も減ってきたけれど、
それも仕方のないことよね。
親離れ、子離れの時だとつくづく思う。


6/2

本当はあんまり教えたくないけれど、今日は特別に。
サラダにかけるめちゃうまドレッシング。
我が家では、このドレッシングに限り、生野菜嫌いの陽くんでさえ、ぺろりと平らげてしまう魔法のドレッシング。
市販のものは、ちょっと甘かったりして嫌なんだけど これは美味ですよ〜。簡単だからぜひお試しあれ。

作り方
ボールにサラダ油を入れる。
同じ量のぽん酢を入れる。
ニンニクすり下ろし(チューブのやつ)を大さじ1でも2でも。
もしくはガーリックパウダーでも可。
塩こしょう、ぱらぱら。
がが〜っと泡立て器でかきまぜて出来上がり。

もう、酔っぱらってても作れるという簡単ドレッシング。
サラダ油とぽん酢が1対1だから覚えやすいでしょ?
これは、本当にやまもとオリジナルなのですよ〜 ネーミングを考えなくっちゃ。
「あの日のドレッシング」とか、「あの空のドレッシング」とか......さえないなぁ。
実は我が家では「カルパッチョドレッシング」という名前で呼ばれているですよ....というのも、レタスやトマトを大きなお皿に広げて、その上に薄切りのお刺身(サーモンでもカツオでも、シビでもマグロでもよいのだ)を並べ、上に貝割れ大根でもぱらりと添えて、このドレッシングをかけて食べると、げきうま、なのです。
レパートリーなくても、パーティーとかでこの一皿さえあれば、「お料理上手な奥様〜〜」みたいな風に思われるし。(冗談抜きで)
「ドレッシング手作りなんですかぁ?」
「レシピ教えてください〜」
「これ、美味しいね〜」なんて、言われちゃったりして、ちょっと「エヘン!」なんて事になるのです。
カルパッチョは冷たく冷やした方が美味しいよ〜

なんて、今日はインスタント料理研究家のやまもとでした(笑)ちゃん、ちゃん。


6/1

南の海上には、また新しい台風が生まれたらしい。
せっかくのこのお天気もいつまでもつことやら。
久しぶりに晴れた日曜日、朝から庭仕事をしたり、ボブを洗ったり。
このまま夏になればいいのに。
午後からは、窓を開けて、風の中で昼寝をした。
ソファーから空を眺めているうちに眠った。
この季節の風の中にいると、体の中から悪いものがみんな流れ落ちてしまうような気がする。
ソファーからだらんと垂らした素足の指の先から、ぽたん、ぽたんと...。

今夜はまたボズスキャッグスの『We're All Alone』
あの日の誰かを思い出しながら聴いてる。
古き良き時代に一緒にいた人のことを。







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