私の祖父は祖母と結婚してすぐに戦死した。祖母はそれから女手ひとつで、私の母を育ててきた。昔の人は皆そうだったのかもしれないが、祖母は死ぬまで祖父の事を愛していた。毎週墓参りは欠かすことがなく、どんな雨の日でも日曜になると花を買って出かけていった。壁に飾った祖父の写真に毎日話かけ、仏壇には祖父の愛したという煙草と甘いものが、いつも供えられた。 祖母に預けられていた頃は、私も小さかったので何の疑問を持つこともなかったが、祖母は新しい恋には出会えなかったのだろうかと最近になって時々思う事がある。 祖母は、一人娘である私の母を自分の傍から離さなかったという。母にしてみれば窮屈だっただろう。好きな人とのデートもなかなか許してもらえなかったようだし、本当に結婚したかった男性との結婚も祖母に強く反対されて諦めてしまった、という。 母は結局お見合いをして、父と結婚した。 母が結婚して、自分の独占できるものがなくなってしまった祖母は、翌年生まれてきた私を可愛がるようになった。2歳の誕生日を待たずに、私は祖母の家に連れていかれ祖母を母親がわりとして育つことになる。 厳しかった。今振り返っても、厳しさだけが思い出される。祖母のやっていた文房具店の店番、おつかい、掃除等、一日を振り返ってもいわゆる「お手伝い」だけで終わってしまっていたように思う。10時と3時に、 紙に包んで渡される、ほんの少しのおやつだけが楽しみだった。 私は祖母が恐かった。祖母は魔女だと信じていた。ポットを見て、「このポットはペンギンが魔法をかけられたものに違いない」等と祖母を疑ったりもした。 両親に会えるのは週末だけだった。父や母に会えるのはとても嬉しかった。ただ、不思議な事に今どんなにその時の事を思い出そうとしても、別れ際の切ない気持ちだけしか蘇っってこない。楽しかったことは何ひ とつ覚えていない。 日曜日の夕方、夕食をすませ、お風呂に入るとそろそろ帰る時間になる。実家と祖母の家は歩いて10分くらいのところだったと思う。悲しかった。でも泣いてはいけないと思った。子供心に祖母や両親を困らせては いけないと思った。「あの頃泣きたいのをすごく我慢して祖母に手をひかれて帰っていくあなたを見るのが一番辛かった」と母は言う。 泣けばよかったのにな、と今の私は思う。 でもあの時は泣けなかったんだ。どうしても泣けなかったんだ。 色々な事を我慢して、心の中に閉まい込んでしまうようになったのは、そんな小さな時からだ。人に迷惑をかける事、人に気を遣わせる事ほど、私の心の中で罪悪感を感じることはなかった。そうではないんだ、もっ と心は自由でいいんだ、と思えるようになったのは24歳の夏、仕事でアメリカに渡ったころからである。 ただ、ひとつだけ言えるのは、どんなに離れていても、自分を手放しで愛してくれる人がこの世の中にたった一人でもいれば人間は人間として自信を持って生きていけるかもしれないという事。自分をいつも認めて くれたのは、父と母の2人である。 天国の祖母が、少しだけ気を悪くするだろうか。 祖母を嫌っていたわけではない。育ててくれた事、教えてくれた事すべてに感謝している。 おばあちゃん、ごめんね。 |