「LET'S GO WORLD HOUSE〜あんた達には負けないわよ」






少し昔を振り返る。まだ学生時代の頃の話だ。 私は世田ヶ谷の池尻大橋の、古い外人アパートで住み込みの管理人のアルバイトをしていた。2階建ての今にも崩れそうなアパートだったが、四畳半一間の部屋が10ほどあり、その一部屋一部屋で外国人が1〜3人ずつ生活していた。

今思えばよくもあんな小さな建物にあれだけの人数が住めていたな〜と思ってしまうが、外国人であるという事だけで賃貸マンションなどへの入居を拒否される事は多いのだ。そのアパートの経営者は、そんな外国人の弱味に付け込んだ形で、簡単に入居はさせるのだがものすごく高額の家賃をとっていた。その当時、おそらくあんなボロアパートならば、池尻大橋でも一部屋2〜3万が相場だっただろう。しかし、そのアパートは安い部屋でも6〜7万ちょっと広い部屋など10万近くもした。日当たりは悪く、風は通らず、furnished とは言っても、カビ臭いじとっとした布団と毛布と、小さなちゃぶ台だけの部屋だった。

彼等の職業はだいたいは民間の英語学校の教師だったが、その他にも旅の途中の留学生とかエジプトから来ている大学教授、娼婦なんかもいた。住む場所を選べない彼等はそんな悪条件でも、とにかく住居が決まってよかったと喜んで入居してくる。

そんな小さな小さなアパートは「LET'S GO WORLD HOUSE」という変な名前だった。外国からきたのに"Let's Go World"はないだろう。管理人として引っ越していった初日は、昔からの住人達にとても冷ややかな目で見られて恐かった。
「これまでも何人ものあんたみたいな若い子が、管理人として越してきたけど、みんな1週間ももたずに出ていっちゃったわよ〜」といった感じの事を早口の癖のある英語で言われた時には、返す言葉もなかった。やっていけるかなぁ、といった不安な気持ちを今でも覚えている。
ゴキブリの走る台所。溢れかえるゴミ.かびだらけのバスルーム。手強い相手はこの生意気な外人達だけではないわ〜。なんて頭を抱えてしまったが、「あんた達には負けないわよ〜」などと何故か意気込んで、越していったその当日、自分の荷ほどきもおわらないうちに、私はアパートの掃除をはじめたのだった。

まずはキッチンをぴかぴかに磨き、共同冷蔵庫の中の腐った食べ物を容赦なくぽいぽいと捨てて、ゴミ用のバケツを磨き、油性の太マジックで「BURNABLE」「NON-BURNABLE」「CANS/BOTTLES」と書いた。 これはなんだ?と住人達が聞いてくる。「ゴミは分別して出す事!間違った出し方をしたらそれは個人へ返しますから!」なんて、下手な英語で、それでも意気込んだ英語で彼等に伝えた。ほ〜、こいつは何か今までとは違う変な奴だと思ったよと、ずっと後に なってJanという、長老(といっても30代の女性だったが)から聞いた。

私の池尻大橋での戦いがその日から始まった。卒業後に仕事でニューヨーク行きが決まるまでの1年半の期間を私はそのボロボロのレッツゴーワールドハウスで過ごした。たくさんの変な外国人達と一緒に、楽しくもあり、切なくもあり、時にはドキドキするような事件発生!の毎日がはじまった。

(つづく.....)








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