レッツゴーワールドハウスは、通りから狭い路地を入った一番奥にあった。そのあたりは皆古い住宅ばかりで、ハウス以外にも小さなアパートが所狭しと立ち並んでいた。すぐ隣も小さなアパートだったが、どんな人たちが住んでいたのかは全くわからなかった。田舎ではあり得ない事だろうが、東京とはそういう街だ。すぐ隣の住人とすれ違った事もないという話はざらである。 そんな中でも、ハウスの外人達の間で有名な御近所さんが2人いた。ひとりはハウスの前の一軒家にお住まいだった遠藤さん。とにかく親切な方だった。電話代のない外人達に国際電話をかけさせてくれたり、美味しいものがあると届けてくれたり、そして何よりも遠藤さんの笑顔はとても素敵で、寂しい思いをしているハウスの外人達は遠藤さんのその笑顔にどれだけ元気づけられた事だろう。ハウス内でパーティを開く時には、必ず笑顔の遠藤さんをご招待した。 そしてもう一人は「洗濯ババァ」 ハウスのすぐ隣のアパートの一階に50歳くらいのひとり暮らしの女性がいた。その女性は一日中洗濯ばかりをしているのでハウスの外人達が「洗濯ババァ」と呼んでいたのだ。洗濯といっても半端な時間ではない。明け方3時とか4時から、夜中の12時くらいまで。何度も何度も洗濯をするのだ。それも金製のタライを外に持ち出してである。そのカランカランという音が明け方から響くのだからたまらない。彼女はその時にいつも木製のゲタ(昔、公衆トイレとかに並んでいたアレ)を履いていた。タライの音に加えて下駄の音までもが、毎朝外人達の眠りを破った。 外人達も最初のうちは我慢していたようだが、ある日ジャン(カナダ人)がついに切れた。窓を開けて、大声で、つたない日本語で叫んだ。 「シズカニシテクダサイ!センタクババァサマ」 それを機に、ハウスの外人が皆切れた。明け方4時ころに、カランカランと音がするとハウスのどこかの窓ががらがらっと開いて「ウルサイ」と誰かが叫ぶ。洗濯ババァの方も負けずに、ますます大きな音をたてる。はっきり言って悪夢のような毎日だった。 しばらく、そんなやり取りが続いたが、ある日ジャンが私の部屋を訪ねてきた。 「ひろみ、ワタシこんな状態はもう耐えられないから、ババァに話をしに行くヨ」 嫌な予感がした。 「ひろみもイクヨ」(やっぱり) 一緒に行って私にどうしろ、っていう訳? 「ひろみ通訳ネ」(あのね、あなたの日本語で十分いけてるよ) しぶしぶとジャンにつきあって、洗濯ババァの家へ行った。彼女はまた洗濯の途中だった。 「お忙しいところすみません、うちの住人が話があるというので連れてきました」 「何ですか?」 洗濯ババァは、固い表情で登場した。(う、こわい) もうそこからはジャンが流暢な、そしてとても無礼な日本語でクレームを並べ始めた。 朝早くからうるさくて、目が覚めてしまって困っている。せめて朝7時か8時までは洗濯は自粛してほしい、というような事を一生懸命日本語で訴えていた。通訳なんてほんと必要ないじゃないねぇ〜。しかし相手は洗濯ババァだよ。おとなしく話を聞くはずがないじゃない。ついに洗濯ババァの反撃がはじまった。 「私は昔、秋葉原のガード下に住んでいたのだ。電車の音がうるさくて、もっと大変だったんだ。洗濯の音なんて、電車の音にくらべたら静かだよ」(え?何?何?それって全然言い訳になってないよ〜) 「朝4時に洗濯してうるさい、って言うけど、あんた達だって夜の10時11時にシャワーを浴びてるじゃないか。その水の音だって相当うるさいよ」(12時の洗濯よりはいいでしょう〜) 「私は雑巾なんかを使って、汚れたらすぐに洗わなくちゃ気がすまない。汚れた物はすぐに洗わなくちゃ気がすまない性格なんだよ」 「下駄が好きなんだよ。ゴム草履はべたべたして嫌なんだ」 まぁ、次から次からへんてこな理由を並べて、こちらが口を挟む間もないくらいだった。 ジャンはついに英語で文句を言い始めた。私に通訳しろ、と言う。(うっ、きたか) でもとてもとても通訳できない言葉(Fからはじまる汚い言葉とか)ばかりを並べて、通訳はできないよ、まったく。それでもジャンの言い分をなんとか洗濯ババァへ伝えたものの、洗濯ババァの反論は意味すら通らず、そんな中でだんだんイライラしてしまったのは私だった。だんだんと声が大きくなってしまっていたようで、ふと我に返ってまわりを見回したらすごい人だかりだった。日本人と外人が喧嘩をしてる、と野次馬が集まっていたのだった。顔が真っ赤になるのを感じたが、ここで負けられないジャンと私は「ばか言ってんじゃないわよ〜」って捨て台詞を残して、すごすごとハウスに戻ってしまったのである。 今、思い返してみても、私があんなに大きな声で、それもあんな激しい口調で誰かと喧嘩をした、というのはその時だけである。 結局次の日からも、ますます大きなカランカランという音が、もっと早い時間から私達の眠りを破る事になる。ジャンは耳栓を買ってきたようだが、悔しさがおさまらない様子で色々と策を練っていた。 「犬のフンを紙袋に入れてババァの玄関先に置いて火をつけよう。そして火事だア〜と叫ぼう。ババァが出てきて足で踏んだら面白い・・・」(面白いというより、後が恐いよ) でもそんな事を実行できるほど性格の悪いジャンではないから、結局は泣き寝入りするしかないLET'ES GO WORLD HOUSEの外人達と役立たずの管理人だった。 (つづく.....) |